大阪地方裁判所 平成11年(ワ)2442号 判決 2000年11月29日
主文
一 原告の訴えのうち、被告が平成九年四月一日に改定、施行した給与規定第二四条が効力を有しないことを確認する部分は却下する。
二 被告は、原告に対し、三一一万八九九五円及び別紙一の差額欄記載の各金員について、同一覧表の遅延損害金発生日欄記載の各年月日以降から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、被告の負担とする。
四 この判決第二項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、三一一万八九九五円及び別紙一の差額欄記載の各金員について、同一覧表の遅延損害金発生日欄記載の各年月日以降から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告が、平成九年四月一日に改定、施行した給与規定第二四条が効力を有しないことを確認する。
第二事案の概要
一 本件は、被告の従業員である原告が、被告に対し、平成九年四月一日被告が改定、施行した給与規定(五八歳以降の賃金減額)の無効を主張し、右規定の適用により減額された賃金の支払を求める事案である。
二 前提事実(当事者間に争いのない事実等)
1 当事者等
被告は、信用金庫法に基づき、預金又は定期積金の受入れ等の業務を行う信用金庫である。
原告は、昭和三四年四月一日、被告に雇用され、平成一〇年一〇月被告の関連会社である株式会社厚和エイジェンシーに出向を命じられた。
被告には、昭和三三年一二月に結成され、全国信用金庫信用組合労働組合(以下「全信労」という。)に加盟する大阪厚生信用金庫従業員組合(以下「従組」という。)、及び昭和四一年九月に従組脱退者を中心に結成された大阪厚生信用金庫労働組合(以下「新組」という。)がある。右新組の結成により、従組は少数派組合となった。原告は、本件提訴時における従組のただ一人の組合員である。
2 被告における定年延長に関する就業規則の改定等
(一) 被告においては、従前定年を就業規則で五五歳と定めていたが、昭和三八年一二月一九日、従組との間で定年を五八歳とする「停年延長に関する協定書」を締結し、就業規則の定年年齢を五五歳から五八歳に変更する旨の改定をした。
(二) 被告は、昭和五八年一一月、就業規則の定年年齢を五八歳から六〇歳に変更したが、その際、定年延長に関する賃金減額の規定は設けなかった。
さらにその後、平成元年に被告の就業規則が全面改定された際にも、定年を六〇歳とする規定は置いたものの、賃金減額についての規定は設けなかった。
(三) 平成二年四月一日、被告は給与規定を改定し、「五八歳到達者の本俸は、到達の翌月分より、五八歳到達時本俸の一定割合を減じて支給する。この場合の減ずる一定割合は職務歴、能力、勤務成績等を参酌し決定する。」という規定を新たに設けた(以下「平成二年時改定」という。)。
(四) 平成九年四月一日、被告は、給与規定を改定し、本俸と資格給であった基本給を年齢給と職能給に区分し、それに伴い、五八歳以降の賃金減額対象を本俸から職能給に変更し、「五八歳到達者の職能給は、到達の翌月分より、五八歳到達時職能給の一定割合を減じて支給する。この場合の減ずる一定割合は、職務歴、能力、勤務成績を参酌して決定する。」(二四条)と規定した(以下、右給与規定二四条を「本件減額規定」、平成九年四月一日の改定を「本件改定」という。)。
3 原告に対する賃金の減額
(一) 原告は、平成一〇年一一月二日、五八歳になった。
右時点における被告の基本給は、年齢給及び職能給により構成され(甲一二)、当時の原告の年齢給は一六万三四〇〇円、職能給は一六万七二〇〇円であった。
(二) 被告は、平成一〇年一二月以降、原告の賃金を減額し、その結果、基準内賃金が約三〇パーセント減額され、別紙一差額欄記載のとおり、毎月の給与が一〇万円以上減額されるとともに、六〇歳までの賞与についても約八〇万円の減額となった(甲一二)。
三 争点
1 本件減額規定の有効性
(一) 本件減額規定の設定は、給与規定の一方的な不利益変更か否か
(二) (一)が肯定された場合に、その変更に合理性があるか否か
(三) 本件減額規定の設定は労使協議約款の潜脱か否か
2 本件減額規定を原告に適用することは権利濫用か否か
第三当事者の主張
一 争点1(一)について
1 原告の主張
被告では、昭和五八年以降、六〇歳定年が賃金減額という不利益規定を伴わずに施行され、右定年年齢が就業規則に規定されたことにより、従業員の五八歳以降の賃金が減額されないということは、労働契約の内容となり、既得権となっている。しかるに被告は、平成二年四月一日、給与規定を一方的に不利益に変更して、五八歳以降の賃金を減額し、原告の右既得権、期待権を侵害した。
被告は、昭和五八年当時の賃金規定の解釈により賃金減額は可能とするが、かかる解釈は許されない。
2 被告の主張
被告では、昭和五八年に定年を五八歳から六〇歳に延長し、それと同時に定年を延長された五八歳以上の職員について、新たな労働条件を設定したものであり、平成二年四月一日の給与規定の改定(平成二年時改定)は、五八歳以降の賃金減額を明文化したものにすぎず、五八歳以降も賃金を減額されないという既得権や期待権が生じることはなく、いわゆる労働条件の不利益変更は行われていない。
就業規則上は定年延長の改定がされただけで、賃金に関する部分の改定はされていない。しかし、就業規則の解釈は、文言のみならず、労使の共通認識、運用に基づいて実質的に行われるべきところ、五八歳以降賃金を減額するという措置は、当時の給与規定の解釈により可能であり、また五八歳以降の賃金については、職員全員に告知され、現実に運用されていたのであるから、昭和五八年一月四日に五八歳到達時の翌月以降の賃金減額措置が集団的労働条件の内容となっていることは明らかである。
二 争点1(二)について
1 被告の主張
仮に、本件減額規定の設定が、不利益変更にあたるとしても、右変更には以下のとおり合理性がある。
(一) 五八歳以降の賃金減額は、昭和五七年一一月二七日の多数派組合(新組)との労働協約(以下「本件労働協約」という。)に基づき行われたものであるから、同内容について特段に不合理と認められる事情がない限りは合理性が担保されているものとして尊重されるべきである。
昭和五七年当時、従組は組合としての実体がなく、従組との間で五八歳以降の労働条件について協議できるような状態ではなかった。そして原告からは平成一〇年に至るまで五八歳以降の賃金減額について何らの申入れはなかったのであるから、従組としても本件労働協約の内容及び同労働協約に基づく賃金減額については黙認していたといえる。
(二) また、本件減額規定の設定には、以下のとおり合理性を肯定しうる事情がある。
(1) 五八歳以降の賃金減額は、五八歳から六〇歳への定年延長とともに導入されたものであり、従業員にとっては従前は五八歳までしか就労できなかったのが、六〇歳まで就労でき五八歳に退職するか、それとも賃金は減少するものの六〇歳まで就労するかの選択枝が増えたのであるから従業員の被る不利益は存しないか存するとしても極めて小さい。
(2) 被告は、六〇歳定年が社会的趨勢になろうとしていた昭和五七年に六〇歳定年を検討していたのであるが、当時人件費が経営を圧迫していることが問題となり、しかも店舗を一、二か所増やす計画を立てており、同計画にも費用を要する状況であったことから、六〇歳定年を実施するためには五八歳以降の賃金を抑制する必要があった。
(3) 同業他社においても一定年齢以上に労働条件を変更する措置が行われており、しかも被告は同業他社と同等またはそれ以上の処遇を行っている。仮に、被告の取扱が少数派に属するとしても、賃金減額及びその程度が問題となっている本件において役職等の変更が存するか否かは無関係である。また、賃金減額のみ行うかそれに伴い役職等も変更するかのどちらが従業員にとって利益であるかは一概に論ずることはできない。
(4) 本件減額規定の設定について他の従業員からも何らの異議も出されていない。
原告は、従業員のほぼ全員が、六〇歳以降の嘱託制度の登用を希望するため、五八歳以降の賃金減額について異議を述べることができないと主張するが、従業員のうち五八歳以降減額措置がとられ、現在六〇歳以上の二八名のうち六〇歳以降嘱託として勤務したのは二一名であり原告主張のようなほぼ全員ではない(別紙二の1、4、7、24、25、26、27、28番は六〇歳以降嘱託として勤務しなかった者であり、20番は六〇歳以降嘱託となったが当月に退職した者である)。また仮にこれをほぼ全員と評価しても無言の圧力となっているとの原告の主張は勝手な憶測にしかすぎない。
(5) 高齢者等の雇用の安定等に関する法律四条は、定年を六〇歳以下と定めることはできないことを述べているにすぎず、定年までの労働条件を定めるものではない。同条の潜脱とは六〇歳より前に事実上退職が強要されるような場合をいうが、本件においてはそのような事情は認められない。
(6) 同一労働・同一賃金の原則は明確な法規範としては確立されておらず、また、同原則は従業員間で問題となる概念であって本件のように同一従業員について持ち出される概念ではない。
(7) 被告が、原告に対し、性差別ないし組合差別を行ったことはない。昭和五五年以降、労働組合として活動していない従組の組合員を差別する理由など全くない。
2 原告の主張
(一) 本件労働協約締結時の新組の執行委員長は、当時二三歳ぐらいの若年であり、よく上司から注意されて怒られていたのであり、協約締結の翌年には退職していることからすれば、労働者を代表して、被告と対等に話ができるような人物ではなかった。そして新組は、そもそも従組の団結力を分断するために被告側の職制により結成されたものであることなどからすれば、本件労働協約が真剣かつ誠実な労使の交渉が行われた結果であるとは考えられない。
(二) 本件減額規定の設定は、以下のように、原告に著しい不利益を課すものであり、合理性を欠くものである。
(1) まず、平成二年に給与規定を変更しなければならない必要性は存しない。すなわち賃金の約三〇パーセントもの大幅な減額を被告が一方的に行う必要性があるというためには、右減額を行わなければ被告の経営が危機に瀕するという程度の差し迫った高度の必要性がなければならないが、そのような事実がないばかりか、被告には単に経営が悪化した程度の抽象的必要性もみあたらない。
(2) 本件減額規定の設定により、原告の賃金は、額にして月額一〇万円、率にして約三〇パーセントの減額となり、また賞与についても三回分で約八〇万円の減額となるのであり、さらに将来受給する年金等の減額を招くもので、その不利益は著しく、生活権の侵害である。
(3) 被告の主張する同業他社との比較は誤りである。被告のように、役職、職位は維持したままの基準内給与のみ減額する取扱いは異例である。
(4) 原告は、従組組合員としてはじめて減額を強行された。従前の人たちは異議なく了解したのではなく、六〇歳以降の嘱託制度での登用を希望するなどの事情により強要されたものである。すなわち被告では、定年退職者について、被告が特に必要と認める者を嘱託として再雇用するという制度があり、実際に昭和五八年一月四日以降、六〇歳まで勤めた従業員はほぼ全員嘱託として再雇用されている。この嘱託として再雇用するか否かはあくまで被告の判断によるため、定年間近の五八歳の従業員にとって無言の圧力となり、減額に対し異議を述べられない結果となっている。
(5) 本件減額規定の設定は、五八歳での退職を余儀なくさせるものであり、六〇歳定年制の法制化(高齢者等の雇用の安定等に関する法律四条)に逆行するものである。
(6) 原告の仕事内容・責任等は賃金の減額の前後において、実質的に変化なく、同一労働・同一賃金の原則に反する。
(7) 本件減額規定の設定は、被告による性差別・組合差別の積み重ねにより昇給、昇格をおさえられ、低賃金となった原告に著しい不利益を強いる結果となるのであり、不当である。
三 争点1(三)について
1 原告の主張
従組の被告に対する昭和三八年六月七日付協議約款締結要求に対する被告の同年七月六日付被告理事長名の受諾回答とこれへの従組の連署により、労使間での労働条件の諸規定の制定改廃に関する協議約款が締結されており、右約款は規範的効力を有している。
しかるに、被告は従組となんら事前協議を行うことなく、本件減額規定の設定を行ったのであり、これは右協議約款に反し無効である。
2 被告の主張
被告と従組との間で、原告主張の協議約款が成立したことはない。また、仮に労働協約が成立していたとしても、同協約は規範的効力を有しない。
四 争点2について
1 原告の主張
被告が本件減額規定を原告に適用することは、権利の濫用として許されない。
すなわち、被告における五八歳到達者のうち、現業労働者、中途採用者、原告のように差別的取扱いを受けてきた者等といった限られた者を除く全ての者は役職者である。本件減額規定は役職手当を減額の対象としないから、右のような特別な者を除く者について、減額による不利益を最小限におさめるよう考慮されたものである。しかるに原告は、被告による長年にわたる組合差別、女性差別の結果、昇格昇給が抑えられ、四〇年以上も勤務してきたにもかかわらず五八歳到達時で役職手当もつかないという極めて異例な状態におかれている。被告は、かかる原告の違法な労働条件について是正義務を有するのであって、差別を受けていない職員同様本件規定を一律に適用することは右是正義務違反として許されない。事実、本件減額規定の適用により、原告は毎月の給与を一〇万円以上減額され、また賞与においても合計八〇万五八〇五円減額されることになり、原告の生活に対する圧迫の程度は著しく、他の五八歳到達者との比ではない。
2 被告の主張
本件減額規定を原告に適用することは権利濫用であるとの原告の主張は争う。被告が原告に対し、組合差別、性差別による昇格差別を行った事実はなく、右個別的無効に関する原告の主張は失当である。
第四当裁判所の判断
一 原告は、本訴において、本件減額規定の適用がなければ原告が支払いを受け得たであろう賃金及び賞与と現実の原告への支給額との差額(以下、「賃金等の差額」という。)の支払いを求めるほかに、本件減額規定の無効をも求めるが、原告が本件で求める賃金等の差額は、将来分をも含めた全額であって、給付訴訟以外にさらに本件減額規定についても確認を求める訴の利益は認められない。
よって、原告の訴のうち、本件減額規定の無効の確認を求める部分についてはこれを却下する。
二 証拠(特に掲示する以外は、甲二四、乙三、原告本人、証人A)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 被告には、従組、新組という二つの組合が存在するが、昭和五〇年代に入り、男子組合員が順次管理職に昇格し、昭和五五年四月には従組は女子組合員三名という状態になり、全信労の組合員としての活動は行っていたものの、被告に対する執行部の届出もなく、個別の春闘要求など労働条件に関する交渉の申入れも行わなくなった(甲一)。このため、被告は、昭和五五年頃以降は、労働条件に関する交渉、労働協約の締結について専ら新組と行うようになり、従組に対しては、新組に対する回答内容や妥結結果を通知するのみとなった。そして、この被告からの通知に対して、従組からその内容等について異議が出されることは、平成一〇年一〇月に入るまでなく、その間、新組との妥結内容がそのまま従組組合員にも適用されていた。
2 昭和五七年当時、被告では、定年は五八歳であったが、当時の社会情勢からいずれ六〇歳に定年が延長になると予測された。このため、被告は定年延長について、定年延長に伴う人件費の増加の検討や他に六〇歳定年を導入している企業の状況の調査等を行ったうえ、新組に対し、定年延長について申入れをするとともに、新組と協議を重ね、新組側の要求も一部入れたうえ、昭和五七年一一月二七日、被告と新組との間で「満五八歳到来の翌月分以降の給与は、五八歳時の本俸の六〇パーセントを最低とし、職歴、技能及び能力を参酌し決定する」ことなどを内容とした定年延長に関する協定書が締結された(乙一)。
なお、平成九年時において全国の信用金庫で定年前の一定年齢により基準内給与を変更しているのは、四〇一行中一九九行であり、減額を実施する平均年齢は五五・六歳、一定年齢到達前の基準内給与に対する割合で最高、最低とも最も多いのは七〇パーセントであった(乙二)。
3 そして、同年一二月一五日、前記協定書と同じく「満五八歳到来の翌月分以降の給与は、五八歳時の本俸の六〇パーセントを最低とし、職歴、技能及び能力を参酌し決定する」等を内容とする総務部長名の「停年制延長の件」と題する通達(甲六)を出し、被告の全職員に右通達は回覧され、そのころ原告も右通達を見た。その後被告は、定年延長に伴う給与の減額を昭和五八年一月四日より実施し、平成一〇年三月三一日までの間、原告を含む五八歳到達者三一名に対して賃金の減額を行った。
4 被告は、右新組との協定で定められた六〇歳への定年の延長、五八歳時の永年勤続慰労金、それ以降の退職時に退職慰労金を支給することについては、就業規則を改定して定めた。他方賃金の減額については、当時の給与規定上、本俸については、九条で「本俸は採用の場合に次の各号を参酌し、別表の定めるところにより決定する。1学歴、2職歴、3年令、4技能及び能力、5その他」と規定されており(甲八)、同規定の解釈により実施することが可能であると判断して、改定を行わなかった。
三 争点1(一)について
被告では、昭和五八年に就業規則を改定し、定年を従前の五八歳から六〇歳とし、その後平成二年時改定により、五八歳到達時以降の翌月分から給与を減額することを定めた。その後、被告の給与体系の変更に伴い、平成九年には、賃金の減額対象を、給与体系変更前の「本俸」にあたる「職能給」とする本件改定を行った(前提事実)。
平成二年時改定まで、就業規則上、定年(六〇歳)前の一定年齢により賃金を減額するという規定がない以上、就業規則上は、六〇歳まで賃金を減額されることはないと解するのが合理的であり、六〇歳の定年時まで賃金を減額されることなく所定の賃金を得られることは、原告の労働条件の一部(既得権)であったといわざるをえない。したがって平成二年時改定及びこれを受けた本件改定(本件減額規定の設定)は、いずれも原告の労働条件を一方的に不利益に変更するものといえる。
この点、被告は、五八歳以降の賃金減額は、昭和五八年に定年を五八歳から六〇歳に延長するとともに、新たに五八歳以降の労働条件を定めたものとして導入されたものであり、原告には、五八歳以降も五七歳時と同様の労働条件で処遇されるという既得権は存しないし、右五八歳以降の賃金減額は、昭和五八年時の就業規則の解釈でも可能であり、昭和五八年以降、原告を含め五八歳到達者の三一名について賃金減額を実施してきていることから、右賃金減額は集団的労働条件の内容となっている旨主張する。
しかし、昭和五八年時の就業規則では、本俸は、採用の場合に、学歴、職歴等を参酌し、別表の定めるところにより決定すると規定されていたにすぎず(甲八)、採用後の変更については、同規定の適用対象外の問題であるといわざるをえない。そして被告は、昭和五八年当時就業規則において定年を六〇歳に延長するのみで、五八歳以降の賃金減額について他に何らの規定も設けなかったのであり、仮に被告において六〇歳への定年延長に際して、同条項の解釈によって五八歳以降の賃金を減額できると解し、その後そのような運用を行い、他方職員には五八歳以降の賃金が減額される旨を告知していたとしても、これによって、就業規則上、昭和五八年当時に賃金減額をも含めた六〇歳への定年延長の新たな制度が設定されたとはいえない。また、前述のとおり、昭和五七年に新組との間で本件労働協約が成立しており、新組の組合員である従業員には、同年以降本件労働協約が適用されているのであって、これらの者に対する処遇と別組合である従組に所属する原告に対する処遇を同列に論じることはできないし、過去の賃金減額の運用については、就業規則上の規定がない状態では、せいぜい労使慣行の成立を推認させうるものにすぎないが、労使慣行より就業規則の効力が優位する(労働基準法九三条)ことなどを考慮すれば、昭和五八年四月以降、五八歳以降の賃金減額が被告における集団的労働条件の内容となっており、平成二年時改定及び本件改定が原告の労働条件上の既得権を侵害するものではないという被告の主張は採用しえない。
四 争点1(二)について
1 平成二年時改定及び本件改定により設定された本件減額規定が、不利益変更にあたるとしても、労働条件の集合的処理を図るという就業規則の性質に照らせば、当該就業規則の変更がその必要性及び内容から判断して、合理的なものである限り、個々の労働者がこれに同意しないことを理由として、その適用を拒むことはできない。そして、右合理性の有無については、当該規定の変更により労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容、程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置の有無、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に対する一般的な状況等を総合考慮して決定される。
2 そこで本件減額規定の設定に合理性があったか否かについて検討する。
本件改定は前述のとおり、平成二年時改定をその前提とするものであるから、その合理性を判断するには、平成二年時改定の合理性を検討することになる。そして前記認定によれば、平成二年時改定は、本件労働協約に基づき、昭和五八年以降、実施されてきた五八歳以降の賃金減額を明文化したものである。
昭和五八年当時、被告においては、定年延長に伴う人件費の拡大を抑制するために、定年延長後の五八歳以降の賃金を抑制する経営上の必要性はあった。
本件減額規定は、「一定割合を減じて支給する。」と規定し、右一定割合については、職務歴、能力等を参酌するというにとどまり、何ら減額率を明示するものではない。本件減額規定は、遡れば本件労働協約に基づくものであることから、最大四〇パーセントまで減額される可能性があるといえるが、これは同じ制度を採用する他の信用金庫における減額率が三〇パーセントであることからすると、より大きな不利益を課されうる可能性を含むものであることは否定しえない。そして、現実には、約一八パーセントから約三二パーセントの範囲内で賃金の減額が実施されているところ、被告には、原告のように非役職者であって、賃金中職能給部分の割合が高い労働者が存し、かかる労働者にとっては、本件減額規定が適用されることにより、役職者に適用された場合よりも、現実の手取額の五八歳以降の減少率がより大きくなるものとなっている(甲二一の一及び弁論の全趣旨)。そして原告に適用された減額率は約三〇パーセントであり、具体的にはその月額の給与が毎月一〇万円以上減額され、手取額で一五、六万円程度の額にしかならなくなり、賞与についても六〇歳定年時までの間約八〇万円余りが減額となり(甲一三ないし一六、弁論の全趣旨)、これに定年時の賃金がその算定の対象となる雇用保険や厚生年金の受給額の減少をも考慮するならば、原告の受ける不利益は著しいものといわざるをえない。そして、かかる不利益変更に対して、何らの代償措置も設置されていない。
確かに、本件では、被告における絶対的多数派組合である新組との労働協約が存在し、原告の所属する少数派組合である従組は、昭和五七年一二月一五日の被告による本件通達以降も、何ら被告に対し団体交渉の申入れ等を行わなかったこと、定年前の一定年齢以降については基準内賃金の七〇ないし八〇パーセントの賃金を支給するというのは、定年前の一定年齢以降の賃金減額の制度がある他の信用金庫における支給額の実績(七〇パーセントの賃金支給)に劣るものではないことなどの諸事情は認められる。しかし本件減額規定の内容は、原告のように非役職者である労働者に対し、賃金という労働契約上の重要部分に関し、著しい不利益を課し、その代償措置もないことに鑑みれば、なお合理性を欠くものといわざるをえない。
従って、平成二年時改定及び本件改定については、その合理性を肯定することはできないから、本件減額規定は無効である。
五 以上によれば、原告の請求は理由がある。よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 川畑公美 裁判官 西森みゆき)
<以下省略>